姉妹提携のきっかけ |
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1977年(S52年・宮部会長時)11月の博多での第16回東洋東南アジアフォーラムには佐世保東クラブとの提携を意識しながらの参加であったが、中州の活魚料理店「河太郎」での夕食時にはシンガポールからのメンバーと一緒になり、刺身など苦手な者には天ぷらやフライにしてもらえば、などと日本の魚料理について教授したり助言をしたりしているうちに意気投合し、話はライオンズへと飛躍していくのである。同席したL釜下は、前年度が地区YE委員であり、又当年はZCとして活躍しており、一方、シンガポールセントラルクラブのメンバーの中にはインド人系LラオなるRCや、日本人妻にもつ第一副会長Lタンなどがおり、話に花が咲くほどに、是非にとクラブ訪問の誘いを受け、その後文通などで提携へと進んでいく。 当時は国際本部からも、国際協調なる観点から、お互いに国外クラブとの積極的な姉妹提携の要望もあった時代で、提携にかかわる費用もクラブ事業資金を充当することができるということになっていた。 又、相手クラブはすでに日本の冨士吉田クラブと提携しており、関西クラブとも提携を望んでいるところであった。 翌年、L釜下が我がクラブを代表してシンガポール・セントラルクラブを表敬訪問し、第17回アジアフォーラムが11月にマレーシアのクアラルンプールで開催されるのを期に、シンガポール市内で姉妹提携の調印式を行うことを約束した。 |
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提携式の日程 1978年11月2日 大阪伊丹空港発(村上敏会長始め L20名 LL3名参加) 夕刻 クラブ会長主催歓迎ガーデンレセプション 3日 午後 提携式 −ヒルトンホテル 4日 エクスカーション −市内観光 5日 アジアフォーラム参加 −マレーシア・クアラルンプール市内 6日 帰国 |
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提携後の交流 | |
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姉妹提携のきっかけ |
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1977年(昭和52年)今から32年前(宮部会長時)両クラブに姻戚関係のメンバーがおり、同年博多で第16回東洋東南アジアフォーラムへの参加を機会に佐世保に赴き交歓会がもたれた。
此れをきっかけに姉妹提携を前提とした、付き合いが始まり、1978年(村上会長時)19名の佐世保東メンバーが我がクラブを表敬訪問され、翌年、2月に我がクラブより25名が佐世保東クラブへ答礼訪問を行った。 クラブ会報やマンスリー報告書などの交換を続けながら同年5月の提携調印を迎えた。 |
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提携後両クラブの交流について |
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